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【江戸時代の生活の知恵】日本は超サステナブル国家だった?

公開日: 更新日:2024.01.05
【江戸時代の生活の知恵】日本は超サステナブル国家だった?

 

昔の人は知っていた、限られた資源で最高の生活を設計する方法。

現在の日本は、エネルギー、食糧、木材などの多くを海外から輸入に頼っていますが、江戸時代は約250年間、海外との貿易をほとんど行わず、国内だけで資源やエネルギーを循環させていました。

化石燃料もほとんど使わないで、戦争もなく、文化も発展させた江戸時代は、人口も安定し、持続可能な社会の一つのモデルといえるでしょう。

最近では、江戸時代の社会や生活に学ぶ動きが出てきています。

本ブログでは、江戸時代の資源循環からエネルギー利用、持続可能な農業に至るまで、多角的にその知恵と技術を探っていきます。

江戸時代の伝統的な知恵を現代に生かして、フードロスの問題に取り組む方法を考えてみてはどうでしょうか?





江戸時代の普通の一日

一日の食事

江戸時代の一般的な庶民の食事は、三食制ではなく、二食制が一般的でした。

朝食は比較的軽く、主にご飯、味噌汁、漬物、魚などが食べられました。
夕食はより重い食事で、米飯や主菜、副菜、汁物、漬物が提供されました。

庶民は、肉よりも魚や野菜を主食とし、肉食はあまり一般的ではありませんでした。


生活サイクル

江戸時代の起床時間は個人によって異なりましたが、一般的には朝早く、太陽が昇るころには起床することが一般的でした。庶民の多くは農作業や仕事に従事し、自然の光を利用して日中の活動を行っていました。

就寝時間は個人や社会階層によって異なりましたが、一般的には比較的早い時間に就寝する傾向がありました。

一方、当時の上流階級や武士階級は、より規則的な生活を送ることが一般的で、特に武士階級は忠誠心や規律を重んじていました。彼らの就寝時間も早めに設定され、早朝からの訓練や仕事に備えることが多かったと言われています。

江戸時代は農耕社会であり、多くの庶民は太陽が沈むころには就寝し、夜明けとともに起床する生活サイクルが一般的でした。


江戸時代のリサイクル文化

江戸の建物


自給自足の資源循環

大量消費社会が発展する前の江戸時代の日本は、まさに循環型社会でした。

当時、人々は限られた資源を効率的に利用し、物質を循環させることで、持続可能な社会を実現していました。

例えば、

  • 家庭内では食べ残しを肥料として再利用する
  • 雨水を貯めて家事や農業に活用する
  • 壊れた陶器を補修して再度使用する
  • 焚き火の灰は洗剤として利用する
  • 竹や草木は家具や生活用品の材料として使う
  • 衣服は繰り返し修繕し次世代へと受け継ぐ
  • 排泄物は下肥として肥料に使う

など、リサイクルの精神が庶民の生活の至る所に見られました。

これは、限られた資源を最大限に活用し、その価値を無駄にしないという、当時の人々の資源意識を示しています。

多様なリサイクル業者が存在 

天然素材の入れ物


江戸時代には、モノが少なくて貴重だったため、新しいモノを買うことはあまりありませんでした。使えなくなったものは修理して使い続けることが一般的でした。

また、リサイクルという言葉はありませんでしたが、使えなくなったものも捨てることなく、別の形に変えて再利用することが行われていました。


箍屋(たがや)

木製の桶や樽は、竹で作った輪で固定して作られていました。この輪が古くなったりゆるんだりすると、新しい竹で交換してくれる職人です。

近代化やプラスチック製品の普及によって、箍屋の需要は減少しました。

鋳掛け

古くなった鍋や釜などの金属製品を修理する職人です。穴が開いた部分に別の金属板をはめ込んだり、折れた部分を溶接する技術を持っていました。

陶磁器の修理

割れた陶磁器を接着して加熱することで修理する職人です。白玉粉という特殊な粘土で接着剤を作っていました。

紙屑買い

不要になった紙製品を買い取り、再生紙にする職人に販売していました。江戸時代の和紙は、長い植物繊維でできていたので、何度も漉き返すことができました。

古着屋

布は手織りだったので高価でした。古着屋は不要になった衣服を買い取り、洗って直して売ったり、別の衣服に仕立て直したりしました。

古傘骨買い

傘は竹の骨に紙を貼ったものでした。古傘骨買いは古くなった傘を買い取り、油紙をはがして洗い、糸を繕ってから傘貼りに出しました。油紙も包装用に再利用しました。

取っけえべえ

子どもが拾った古釘などの金属製品をオモチャや飴と交換する行商人です。金属は溶かして別のものに作り変えることができました。

ロウソクの流れ買い

ロウソクは高価だったので、火を灯したロウソクのしずくを買い集める職人がいました。ロウソクのしずくは溶かして再びロウソクにすることができました。

灰買い

薪などを燃やすと灰が出ます。この灰を買い集め、肥料として農村に売っていたのが灰買いです。灰は土地を肥えさせる効果がありました。

肥汲み

人間の排出物(下肥)は、江戸時代の農村では最も重要な肥料でした。肥汲みは契約した家や店から下肥を汲み取り、農家に売っていました。下肥は農作物を育てるために必要な栄養素を含んでいました。


これらのリサイクル職人は、消費と生産の間にある循環の環を回していました。現在では考えられないような究極のリサイクルですが、江戸時代では当たり前のことでした。


江戸時代のエネルギー供給は?

武士と商人


江戸時代には電気がなかった?

電力や化石燃料は、明治時代以降に西洋から導入された技術であり、江戸時代にはまだ存在しませんでした。

江戸時代のエネルギー供給は、主に薪や炭などの有機物を燃やして得られる火力でした。薪や炭は、江戸の人口増加に伴って需要が高まり、武蔵野の雑木林などから切り出されて運ばれました。しかし、森林資源の乱伐は環境問題を引き起こし、幕府は伐採の禁止や植林などの保護政策を行いました。

また、水力や風力も一部で利用されており、水車や帆船などが動力として使われました。


夜の明かりはどうやって灯していた?

江戸時代の照明について見てみましょう。日本で商業的に発電所からの送電が始まったのは1887年11月でした。石炭燃料による発電機がはじめて動いたのです。それ以前の夜間照明は、日本の国内でできる油や蝋(ろう)を行灯(あんどん)や蝋燭(ろうそく)の形で燃やすものでした。

照明用の油は主に、ごまやつばきの実、ナタネ、綿の実などから取っていました。クジラの捕れる土地では鯨油を使い、いわしが豊富に獲れる地域ではいわし油を使いました。油を絞ったあとの油粕(あぶらかす)は、良質の窒素肥料となります。

一方、蝋(ろう)は、ハゼやウルシなどの植物の実に含まれる脂肪分を絞り出して作りました。


江戸時代の"衣""食""住"

天然素材のみ!江戸時代の"衣"

 江戸時代の服


江戸時代の人々は、自然素材で作られた衣服を着ていました。綿や麻、絹などの繊維を手織りして布を作り、染めや刺繍で模様をつけていました。衣服は高価で貴重なものだったので、大切に使い、傷んだら修理したり仕立て直したりして長く着用していました。

また、身分や職業によって色や柄、装飾などが決まっていました。武士は黒や紺などの地味な色で、紋章を入れた着物を着ていました。庶民は明るい色や派手な柄の着物を着ることができましたが、上下の色や柄が合わない「異袴 (いばかま)」という格好は禁止されていました。農民は藍染めや草木染めなどの自然色で、丈夫な麻や木綿の着物を着ていました。

現代と同じく、季節に合わせて衣服を変えており、春と秋には「古着替え」という儀式で衣替えをしました。夏には涼しげな「浴衣」や「単衣 (ひとえ)」という薄手の着物を着ていました。冬には暖かい「羽織」や「袷 (あわせ)」という重ね着をしました。また、雨や雪に備えて「笠」や「傘」、「雪駄」などの防水用具も使っていました。


地産地消!江戸時代の"食"

田んぼ


江戸時代の食文化は、そのエリアで生産された地元の食材を使うことが前提でした。

これは季節や場所により入手できる食材が異なるためで、その結果、地方ごとに多様な料理や味が生まれました。地元の食材を活用するという考え方は、現代のフードマイレージ問題への解決策として注目されています。

江戸時代の人々は、主食として米を食べていました。米は国内で生産されたものであり、外国から輸入されたものではありませんでした。米は年貢として徴収されることもありましたが、農民は自分たちが作った米を食べることができました。また、庶民も米屋から米を買うことができました。

また、副食として野菜や豆類、海藻類などを食べていました。これらも国内で生産されたものであり、外国から輸入されたものではありませんでした。野菜や豆類は畑で栽培されるものや山菜など自然に生えるものがありました。海藻類は海岸で採取されるものや養殖されるものがありました。

肉類や魚類はあまり食べられるものではありませんでした。魚類は海に近い地域では比較的手に入りやすかったものの、内陸部では高価で貴重なものでした。また、保存技術が発達していなかったため、新鮮な魚を食べることができる機会は限られていました。


ひとつの家に多数の家族が住む?江戸時代の"住"

江戸の町

江戸時代の日本、特に都市部では「町屋(まちや)」や「長屋(ながや)」と呼ばれる住宅が一般的でした。これらは、木造で土壁を使い、狭い敷地に多数の家族が住むような造りでした。家具は少なく、床に敷いた「畳」や「布団」で寝ていました。

武士の住居は、木造で瓦葺きのものが多く、座敷や書院などの部屋がありました。また、身分によって門や庭の形式が決められていました。大名や旗本の屋敷は、幕府から借りた拝領屋敷と呼ばれるもので、参勤交代や昇進などで引っ越すことが多かったです。御家人や足軽の屋敷は、自分たちで建てた抱屋敷と呼ばれるもので、小さくて簡素なものが多かったです。

どちらも自然素材で作られた住居に住んでおり、リサイクルや再利用の精神があったと言えます。また、住居によって身分や職業が分かるようになっていたことで、社会的な階層や役割を認識していたとも言えます。


江戸時代は持続可能な文化だった

桜の花


江戸時代の社会は、限られた資源を最大限に活用し、持続可能な生活を実現するための数々の知恵を生み出しました。

これらの知恵、特に資源の循環利用、エネルギー効率の追求、地産地消の食文化は、現代のサステナビリティの観点からも有意義なメッセージを私たちに伝えています。

先人から学び、未来の世代に豊かな自然を継承しましょう。



【参考資料】石川英輔著『大江戸リサイクル事情』(講談社文庫)



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この記事を書いた人

中川

環境開発学を専攻し、大学時代に交換留学で訪れた北欧でエコライフに目覚めました。帰国後、国内外のエコプロジェクトに参加し、サステナブルな食文化や食品ロス削減のヒントを発信しています。

監修者

文 美月

株式会社ロスゼロ 代表取締役
大学卒業後、金融機関・結婚・出産を経て2001年起業。ヘアアクセサリーECで約450万点を販売したのち、リユースにも注力。途上国10か国への寄贈、職業支援を行う。「もったいないものを活かす」リユース経験を活かし、2018年ロスゼロを開始。趣味は運動と長風呂。