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【江戸時代の生活の知恵】トイレ・風呂・暖房はどうしていた?

公開日: 更新日:2024.01.09
【江戸時代の生活の知恵】トイレ・風呂・暖房はどうしていた?

激動の時代を生き抜いた江戸の人々は、限られた資源の中で日常を豊かにし、持続可能な生活環境を築き上げました。

近年では、江戸時代のサステナビリティに学ぶ動きが出てきています。

今回はトイレ、風呂、暖房という、我々にとって日常的かつ基本的な生活要素に焦点を当て、江戸時代の日常と資源循環のコツを紐解いてみましょう。

江戸時代のトイレ事情

江戸高名会亭尽 [両]国[柳]ばし

(画像出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所江戸高名会亭尽[両]国[柳]ばし

 

江戸時代のトイレは、汲み取り式が主流でした。汲み取り式とは、便器を設置した穴から排泄物を汲み取り、下水道や川に流す方法です。このため、トイレは家の外に設置されることが多く、しきたりや習慣として、トイレを我慢する人もいました。
また、トイレは臭いや汚れがつきやすいため、掃除やごみ処理には、衛生や健康にも配慮する必要がありました。


江戸のトイレの特徴

江戸時代の長屋では、トイレは家の外に設置されていました。これは、排泄物の臭いや汚れを家の中に入れないための配慮でした。特に長屋住まいの人々は共同トイレを使用し、扉は半戸であることが多かったそうです。


排泄物を買い取って資源循環?

江戸時代には、排泄物は重要な資源とされ、その回収が積極的に行われていました。排泄物の処理が不十分だと、衛生問題や悪臭などの問題が発生するためです。

実際に「ねんごろ」「下肥屋」と呼ばれる人々が定期的に家々を回り、排泄物を集めていました。「下肥屋」は、排泄物の回収を通じて、江戸時代の都市生活を支えていたと言えるでしょう。

「下肥屋」は、竹竿や桶を使って排泄物を汲み取り、馬車で運んでいました。汲み取られた排泄物、特に人間の排泄物は「夜土」と呼ばれ、その後肥料として農地に利用され、食糧生産のサポートになっていました。

「下肥屋」が担当する排泄物の汲み取り作業は、地域コミュニティの重要な役割を担っており、農村の環境と生活を支える基盤となっていました。


トイレ掃除のしきたり

トイレ掃除は、江戸時代でも重要視されていました。清潔を保つことは、病気の予防や健康の維持に直結し、人々の日常生活の一部とされていました。

トイレの清掃作業は、木の枝や藁、土などを使って、女性が行っていました。また、排泄物の臭いを抑えるために、炭や灰、松葉や木炭を撒く習慣もありました。

トイレは家の外にあるため、清掃作業は家族や地域社会の連携を要し、共同で行われることが多かったです。これらの清掃活動は、江戸時代の人々の衛生観念とコミュニティの結束を示す良い例とされています。


江戸時代のお風呂文化

 東海道 一 五十三次日本橋

(画像出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所東海道一五十三次日本橋

 

江戸時代の浴文化は、公衆浴場が中心となって発展しました。公衆浴場は、庶民の入浴習慣の普及と、社会生活の中心地としての役割を果たしました。


入浴の習慣と風呂の進化

江戸時代以前の日本では、入浴は貴族や武士などの限られた階層の間で行われていました。しかし、江戸時代になると、庶民の間でも入浴習慣が普及し、都市部では週に2~3回、農村部では月に1~2回程度お風呂に入っていたとされています。なかなかお風呂に入れない時期には、布を水やお湯で濡らして、体を拭いていました。

江戸幕府は疫病の予防などを目的に、入浴を奨励する政策を実施しました。そのため、公衆浴場は、庶民でも気軽に入浴できる場所として、広く利用されるようになりました。

江戸時代の風呂は、主に「湯屋」と呼ばれていました。湯屋には、薪や炭で沸かした湯が使われていました。また、湯船の形状も、現代の浴槽に近い形状へと進化していきます。


共同浴場の役割

江戸高名会亭尽 新吉原衣紋坂日本堤

(画像出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所 江戸高名会亭尽 新吉原衣紋坂日本堤)

 

共同浴場の衛生管理

江戸時代の公衆浴場は、庶民の入浴習慣の普及だけでなく、地域コミュニティの清潔と健康の保持に不可欠な存在でした。

浴場の管理者は、水の質の維持や浴場の清掃を日常的に行い、清潔な入浴環境を提供していました。特に、水の交換と浴槽の掃除は、毎日欠かさず行われていたものと推測されています。
また、入浴者自身にも、身体を洗ってから浴槽に入るというルールがあり、これにより水の汚れを最小限に抑えていました。

これらの衛生管理は、感染症の予防と公衆衛生の維持に直結しており、地域社会の健康を支える基盤となっていました。


入浴の社会的側面

共同浴場は、近隣の人々が集まる場所であり、情報交換や交流の場としても利用され、江戸時代の人々にとって社交の場でもありました
浴場での会話は、日常の出来事や地域の情報を共有する重要な手段であり、互いの絆を深める機会でもありました。

また、公衆浴場は階級を超えた交流の場ともなり、様々な背景を持つ人々が一堂に会し、共に入浴することで、コミュニティの連帯感が育まれていました。

さらに共同浴場は、夜間の防犯対策としても機能していました。江戸時代の夜は、犯罪の発生率が高かったため、共同浴場は人々が集まる安全な場所として、重要な役割を果たしました。


健康の促進

江戸時代では、入浴は単に身体を清潔にするだけでなく、健康を維持するための手段としても行われていました。

江戸時代の風呂には、様々な効能があると考えられていました。例えば、疲労回復や美肌効果、病気予防などが挙げられます。また、風呂は、心身をリラックスさせる効果もあると考えられていました。
江戸時代の人々は、入浴を健康の促進に効果的であると信じており、地域社会全体の公衆衛生の保持にも重要であるとして、沐浴は日常生活の重要な一部として定着していたのです。


江戸時代の暖房技術の進化

囲炉裏

江戸時代の暖房技術は、囲炉裏とこたつの利用を中心に発展しました。囲炉裏は、薪や炭を燃やして暖をとる道具です。こたつは、布団の中に火鉢を入れた暖房器具です。


囲炉裏とこたつの利用

江戸時代の一般家庭では、囲炉裏が主な暖房器具でした。囲炉裏は、火を囲んで暖をとることができるため、家族や近隣の人々が集うコミュニケーションの場所としても利用されました。
また、囲炉裏は、料理や炊事にも利用されていました。そのため、囲炉裏は、江戸時代の家庭生活において欠かせない存在でした。

江戸時代後期になると、こたつの利用も広がりました。こたつは個人が暖を取るための装置で、布団と台を組み合わせた構造で、布団の中に火鉢を入れるため、下から暖かさを感じることができました。

こたつは移動が容易で、個人の快適さを追求できる点が特徴です。そのため、こたつは冬の寒さをしのぐのに最適な暖房器具として、庶民の間でも広く利用されるようになりました。

薪と炭のエネルギーソース

江戸時代の暖房器具は、薪や炭を燃やして熱を発生させました。
は、細かく切り出した木材を長い時間かけて乾燥させて燃えやすくしたものです。は、小さく切った木材を小さな火で長時間かけてじっくり蒸し焼きにし、炭化させたものです。
薪と炭は江戸時代の主要な暖房エネルギーソースであり、それぞれが異なる利点を提供していました。

は、庶民にとってアクセスしやすいエネルギーソースで、早く炎を上げて燃えるので短時間で暖をとることができました。燃焼時間は短いですが、火力が強いのでカマドでの料理などにも使われました。

は、無数の穴が空いた表面積が広い物質なので、着火すると空気を少しずつ取り込んで長く燃焼し、長時間暖をとることができました。また火力が安定しているため、長時間の調理に使われました。

これらの自然なエネルギー資源は、環境との調和を保ちながら暖を提供し、人々の暮らしを支えていました。

快適な暮らしと煤煙問題

暖房技術の発展により、人々は寒冷な季節でも快適に過ごすことができました。しかし、薪や炭を燃やすことによる煤煙問題も無視できない問題となっていました。煤煙は、空気を汚染する原因となるため、健康被害や火災のリスクを高めることになります。

江戸幕府は、煤煙対策として、囲炉裏の設置場所や煙突の設置を規制するなどの施策を実施しました。しかし、煤煙問題は完全に解決されることはなく、江戸時代の都市生活において、大きな課題となっていました。


その他、江戸時代の健康文化と衛生管理

江戸時代の人

日本の伝統的な暮らしには、健康を維持するための知恵や工夫が数多く見られます。庶民の間では、入浴や歯磨きなどの習慣が広まりました。

これらの衛生観念は、日本の伝統的な健康文化の核となり、後の時代にも影響を与えています。

 

歯磨きが習慣化

江戸時代には、庶民の間でも歯磨きが習慣化されるようになりました。

江戸時代の歯ブラシは、「房楊枝(ふさようじ)」と呼ばれるもので、ヤナギやクロモジなどの細い木の枝を煮て柔らかくし、片方の先端を木槌で叩いて房状にしたものでした。

歯磨き粉もあり、銭湯や寺社の境内などで販売されていました。歯磨き粉の成分には、塩や炭酸カルシウムを主成分としたものや、動物の骨や人間の抜けた歯などを粉末にしたものなどがありました。

幕府がゴミ収集を管理

江戸時代には、ゴミは町内のゴミ集積場や永代島などの指定された場所に運ばれました。永代島とは、現在の東京都江東区冨岡付近に位置し、富岡八幡宮などの歴史的な建造物がある地域です。ゴミを運ぶのは、幕府から許可を受けた専門の業者で、芥船と呼ばれる船でゴミを運んでいました。

幕府は、ゴミの処理に関する法令を定めており、不法投棄や価格の規制などを行っていました。ゴミは、埋め立てに使われたり、肥料や再生紙などにリサイクルされたりしていました。

江戸時代の環境課題

江戸時代には、人口増加と都市化が進行し、環境課題も生じていました。

例えば、ゴミや汚水の不法投棄が問題となり、疫病の流行や衛生環境の悪化を招きました。煤煙問題は、木や炭を燃料とした暖房や調理に起因しており、大気汚染を引き起こしていました。

また、廃棄物の管理と処理は、都市部で特に重要な課題となりました。しかし、人々は糞尿を肥料として再利用するなど、資源の循環利用を推進し、環境問題の緩和に努めていました。

これらの取り組みは、持続可能な生活方法と環境意識の初期の形態を示しており、現代の環境課題解決に対する示唆を提供しています。



江戸時代の生活の知恵は、今の我々にも多くを教えてくれます。

トイレ文化、公衆浴場の利用、暖房技術の進化、そして伝統的な生活と健康文化は、現代の私たちに、持続可能で快適な生活の築き方を示唆しているのではないでしょうか。

 

サムネイル出典元:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所東都大伝馬街繁栄之図

 

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この記事を書いた人

中川

環境開発学を専攻し、大学時代に交換留学で訪れた北欧でエコライフに目覚めました。帰国後、国内外のエコプロジェクトに参加し、サステナブルな食文化や食品ロス削減のヒントを発信しています。

監修者

文 美月

株式会社ロスゼロ 代表取締役
大学卒業後、金融機関・結婚・出産を経て2001年起業。ヘアアクセサリーECで約450万点を販売したのち、リユースにも注力。途上国10か国への寄贈、職業支援を行う。「もったいないものを活かす」リユース経験を活かし、2018年ロスゼロを開始。趣味は運動と長風呂。