(このブログの一部画像はOpenAI社が開発する「DALLE3」を使用しています。)
現代においてゴミ問題やリサイクルが注目される中、実は江戸時代の日本にもその原点を見ることができます。
江戸の都市では、増加するゴミをどう処理するかが大きな課題でした。
それを解決するための知恵やシステムが、今日の持続可能性のヒントとなるかもしれません
江戸時代のゴミの種類と処理方法
江戸時代のゴミの特徴
江戸時代、現代に比べると様々なモノが限られていました。そのため、生活ゴミも今とは大きく異なっていました。
ゴミは主に生活の中で出た食べ残しや木くず、布切れなどが主流で、これらは大半が生分解性のものでした。また、魚や野菜の切り落としは、資源として堆肥に利用されていました。
現代にあたるプラスチックゴミや電子機器のようなものは存在せず、ゴミの質が自然と人々の生活に溶け込むような形になっていたのです。
川や海へのゴミ排出
ゴミの処理方法として、川や海への排出が行われることもありました。
しかし、先ほど触れたように、ゴミの大部分は生分解性が高いものばかり。このため、川や海の自然環境に大きな負担をかけることは少なかったと考えられます。
しかし、街が発展し人口が増えるにつれ、排出されるゴミの量も増加。これが水質汚染の原因となることもありました。
そのため、時代が進むにつれて、ゴミの適切な処理方法についての考えが生まれ始めたのです。
環境と衛生の配慮
江戸時代は、疾病の拡大を防ぐため、環境と衛生に対する配慮が欠かせませんでした。
ゴミはそのまま放置すると、害虫の原因となったり、悪臭を放つことがありました。そのため、生ゴミは速やかに堆肥にし、非生分解性のゴミは焼却するなどの処理が行われていました。
また、ゴミの分別や再利用にも力が入れられ、資源の無駄を減らす取り組みが盛んになされていたのです。
廃棄物利用の知恵と再利用文化
リサイクルとリユース
江戸時代、資源を大切にする考えが深く根付いていました。この時代にも、「リサイクル」と「リユース」という考え方が存在していたのです。
リサイクルは、物を原料に戻して再度商品として生まれ変わらせること。一方で、リユースは、そのままの形で再び使用することを指します。
例えば、古布を解体して新しい布として織り直すのはリサイクル、使わなくなった着物を仕立て直したり、小物などの材料などの他の用途で再利用するのはリユースと言えるでしょう。
この二つの考え方は、今でも私たちの生活に役立っています。
廃棄物からのリサイクル品製作
今でいうアップサイクル、つまり廃棄物や不要になった物を賢く再利用して新しい価値を生み出す技法は、江戸時代にも既に存在していました。
例えば、古布や着物の端切れを利用して、手ぬぐいやぞうり、または畳の裏地などに変えて再利用していたのです。
このようにして、一つ一つの物に新しい命が吹き込まれ、物の寿命を最大限まで伸ばす知恵が詰まっていました。
組織と自治体の資源管理
江戸の都市部では、経済や文化が発展するにつれて人々の生活も洗練され、それに伴いゴミの量も増加しました。
この増加するゴミをどう管理するかが大きな課題となったのです。
そんな中、自治体や町の組織がこの問題に取り組み、ゴミや廃物の収集・管理を行っていました。
特に、町年寄は町のリーダー的存在であり、様々な問題を解決するための中心的な役割を果たしていました。彼らは町の秩序を保ち、町民の間のトラブル解決や、火の用心、そしてゴミの収集や清掃活動のような公共の利益に関わる事柄を管理・統括していたのです。
これらの組織では、有益な廃棄物を分別し、再利用やリサイクルの促進に努めていました。例えば、骨や貝殻は石鹸の原料として利用され、草木のくずは紙の材料として再利用されていたのです。
これにより、街の清潔さを保ちつつ、資源を有効活用するという、持続可能なシステムが築かれていました。
公共ゴミ捨て場とその役割
埋め立てと焼却の選択
江戸時代、ゴミの処理方法は主に二つに大別されていました。それは、「埋め立て」と「焼却」です。
埋め立ては、ゴミを地下に埋める方法で、ゴミが自然と分解される過程で土に還るという考えから採用されていました。また、不衛生な状態をそのままにすることなく、土地として再利用することが可能でした。
江戸時代の東京、特に浅草や日本橋周辺は、元々は湿地帯や水辺でしたが、多くの埋め立てによって都市部として発展してきました。これらの埋め立て地には、当時のゴミや廃材が利用されることも少なくありませんでした。
一方で、焼却はゴミを焼き払う方法で、この時代にも一部で行われていました。特に、有害な害虫や病気の伝播を防ぐ目的で、焼却が選択されることがあったのです。
しかし、大規模な焼却施設や今日のような高度な技術はまだ存在しなかったため、効率的に焼却することは難しく、完全には燃やせずに残渣が残ることもありました。
ゴミ収集システム
都市が大きくなると、ゴミの不法投棄が問題となり、江戸幕府は町内ごとにゴミ集積所を設けました。住民はそれぞれの集積所にごみを持ち込んでいました。
これは、現代のコミュニティベースのゴミ収集に似ており、町民同士の協力やコミュニケーションが求められるシステムでした。
町内のゴミ集積所に集められたゴミは、専門の職人や清掃員が回収していました。このようなシステムは、ゴミの適切な管理や処理を効率的に行うためのものでした。
また、定期的な収集により、街の衛生を維持し、疾病の予防にも寄与していました。
ゴミ清掃員の日々の役割
ゴミ清掃員である屑屋は廃物回収を生業とする職人や商人で、江戸時代のリサイクル産業の先駆者とも言える存在でした。
彼らは、日々のゴミ収集はもちろん、ゴミの分別や再利用の促進にも努めていたのです。彼らは家々を回って不要な物を買い取り、それを再利用や再加工して再販するというビジネスモデルを持っていました。
また、ゴミが適切に処理されることで、街の清潔さや住民の健康を守る役目も担っていました。清掃員たちは、ゴミの知識を持ち、その処理方法やリサイクルの技術を学ぶための研修も受けていたと言われています。
彼らの存在が、江戸時代の都市の衛生状態を高める大きな要因となっていたのです。
街道沿いの清掃活動と人々
清掃と健康の関係性
江戸時代、街道沿いの清掃活動は、単に美観を保つためだけではありませんでした。それは、人々の健康を守るための大切な役割を果たしていたのです。
ゴミや汚水が放置されることで疾病が発生しやすくなり、特に夏場には食材が腐敗しやすかったため、こまめな清掃が行われていました。実際、清掃が徹底された地域は、疾病の発生率が低かったという記録も残っています。
このように、清掃活動は直接的に人々の健康を守る活動として、日常の生活の中で重要視されていたのです。
害虫対策と衛生維持
街道沿いの生活では、ゴミや汚れが原因でさまざまな害虫が発生しました。蚊やハエ、ゴキブリなどは、疾病を媒介する恐れがあったため、これらの害虫を減少させるための取り組みが急募されていました。
たとえば、ハエ取り紙や天然の蚊遣りのような道具が利用され、夜には蚊帳を使用して寝る習慣がありました。また、清掃活動の中でも特に、ゴミの分別や適切な処理が重要視されていたのは、これらの害虫の発生を抑えるためでもありました。
街道沿いの住民たちは、自らの生活を守るため、日々の清掃活動に真摯に取り組んでいたのです。
清掃活動のコミュニティ作り
清掃活動は、単に街をきれいに保つだけでなく、地域住民同士の絆を深める手段ともなっていました。街道沿いの人々は、ゴミの回収や掃除を共同で行い、その中でコミュニケーションをとる機会が増えていたのです。
例えば、月に1度の大掃除の日には、近隣住民が集まり、一緒に道路や川辺を掃除する姿が見られました。このような活動を通じて、互いの信頼関係が築かれ、地域の絆が深まっていったのです。
江戸時代の日常の中には、現代にも通じる持続可能性の考え方が息づいていました。
都市のゴミ問題を解決しようとするその手法や哲学は、私たちが直面する環境問題に対する新しい視点を提供してくれます。
歴史は繰り返し、過去の知恵を今に活かすことで、より良い未来を築くヒントが見えてくるかもしれません。
(サムネイル出典元:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」江戸高名会亭尽 芝神明社内)
合わせて読みたい
- 【江戸時代の生活の知恵】日本は超サステナブル国家だった?
- 昔の人は知っていた、限られた資源で最高の生活を設計する方法。化石燃料もほとんど使わず、戦争もなく、文化も発展させた江戸時代は、持続可能な社会の一つのモデルといえるでしょう。